以前、この写真のを古墳と書いてましたが、違ってましたー。1972年ごろの資料では北曲輪古墳という名称になってたんですけど、1985年発行の『明石史資料(考古編)第四集』によると、明石城の土塁の残存部分と書かれてます。
明石公園内にある古墳。というか、元々古墳だったところです。切り崩されて石室が露出しています。
場所は明石公園内の県立/市立図書館の南東側の道沿い。前から気になってたところですが、高校生だった時に調べてみたらやはり古墳の跡でした。明石城は海に面した平野と台地の上にたっており、この古墳も台地の部分にあります。昔は眺めが良かったのかもしれません。
そんなに遠く離れていないところには前方後円墳の王塚古墳と五色塚古墳があります。五色塚古墳は兵庫県下最大の前方後円墳で、南側にある前方が鉄道によって一部削り取られているものの、石も敷き詰められたり、一部分ですが円筒埴輪も並べられたりしててよく整備され、一般に公開されてます。昔はタダで入れたけど今もそうなんかな? と思ったら1999年6月現在ではまだ無料のようです。
王塚古墳の方はある記述が元で皇室と関係あるかもしれんって事になっており、堀で囲まれた内側は立ち入り禁止になってます。
昔映画の小道具で、三種の神器のうちの草薙の剣を作ることになったとき、形状がわからなかったので宮内庁に電話して質問したことがあります。書庫課だったかどこだったか忘れましたが、電話に出た若い(と思う)男性は実に親切丁寧な対応で、非常にうれしかったです。
あの時と同じくらいの親切丁寧さで、全国の古墳の調査もOKなんてことになったら凄い事実がいろいろ判ったりとか、破損寸前の状態になっているかもしれない装飾品や図画等を記録・保存出来るかもしれないですね。だいたい天皇陵とされているところも、実際には全く関係ないらしい古墳が多いとの話だし、それを確かめる意味でも古墳の調査ってのは必要だと思うんですが。
なんて事は今までいろんな人が言ってきてる事ですし、それに対して宮内庁がどういう対応してるかも今の状況見れば判るってもんですね。あの辺が変わらない限りこの辺も変わらんのでしょうか。
とか書いてたけど、調査ってのは破壊をも意味するので、調査されないってのは現時点での破壊は免れ、技術的にも今より上だろう未来に真相の究明を託せるって事にもなるとか。いろんな見方がありますね。
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