古代山陽道・西国街道

情報

古代山陽道画像No.1

名称
古代山陽道・西国街道
撮影年月日
2004年12月9日
場所
兵庫県明石市二見町福里 稗沢池
種類
昔の道路跡
時期
古代山陽道:奈良時代から平安時代
西国街道:江戸時代から現代
そのうち写真が増えるかもしれません
データの出典
明石市史 上巻 昭和35年(1960年)3月31日発行
新明石の史跡 昭和60年(1985年)3月31日発行
明石市立文化博物館 市内の遺跡「古代山陽道(福里地点)」

怪説

最初の写真について

明石市の西端にある稗沢池の真ん中を通る堤です。東を向いて撮影してます。今では整備されて池を横断してますが、以前は両端がなく細長い島のようになってたようです。で、古代山陽道の痕跡と考えられてたとか。写真左側、方角で言うと北側には国道2号線が走っています。さらにその少し北に、江戸時代の西国街道が並行して走っています。

現在この堤の西には住宅が立ってますが、その地は2001年10月の調査で古代山陽道の跡がでてきたそうです。ということでその延長にあるこの堤も古代山陽道だったと。

このまま真っ直ぐ行くと仮称邑美駅家(おうみうまや)(現在の金ヶ崎にある大道池周辺?)に行き、後ろへ真っ直ぐ進むと賀古駅家(かこのうまや)(現在の加古川野口南郵便局東にある駅ヶ池周辺?)にいくそうです。

ところで用語ですが、西国街道も山陽道と呼ぶ場合があるし、今は山陽自動車道なんてのもあるので、ここでは奈良時代〜平安時代の道を古代山陽道、江戸時代の道を西国街道と書く事にします。

古代山陽道は奈良、平安時代、都と太宰府を結ぶ交通、通信の要として作られた道だとか。太宰府は大陸との接点だったので重要視されたそうです。

都の権力が弱った後、江戸時代に入って各地の街道が整備され、明石の地には西国街道が登場します。古代山陽道は道幅が広かったので、整備されなくなってからは半分壊されて田畑になったり、完全になくなったりしたそうで。

古代山陽道と西国街道とは一致してる箇所もあるそうですが、明石あたりは結構違ってそうですと最初書いてましたが訂正、結構ダブってたりしてますね。

写真その2

古代山陽道画像No.2稗沢池古墳の上から堤を撮影。写真上に国道2号線が少し写っています。

神戸新聞ニュース:明石/2004.03.26/山陽道の遺構、魚住で発見 明石市内2例目によると、稗沢池西の福里遺跡に次ぐ古代山陽道の跡が魚住町清水で発見されてるとか。たぶんもう住宅になってるんじゃないかと思い行きませんでしたが。

写真その3

画像No.3稗沢池からずっと東の魚住町金ヶ崎にある大道池。横の道は西国街道です。軽い下り坂になってます。給水塔のある団地が写ってますが、これは県営長坂寺団地と思います。この道を進むと、金ヶ崎神社の鳥居の前に行きます。

『明石市史 上巻」55頁にはこの池の写真があります。「大きい道」ではなく、「大堂池(お堂の堂)」と表記されてます。道沿いに立派な松っぽい木が生えてるのが写ってますが、今ありませんでした。

写真その4

画像No.4大道池の西側。写真の右手あたりは長坂寺廃寺跡とされ、瓦などが出土してるそうです。また、古代山陽道の駅、仮称邑美駅家の跡と言われているそうです。

写真その5

画像No.5金ヶ崎神社に行く手前で二股に別れています。右が西国街道、左は太山寺へ続く道です。写真ではよく見えませんが、中央の家の左側に大きな道標があります。

写真その6

画像No.6その道標。「左大山寺道」と彫られています。この道を行くと、金ヶ崎神社の目の前に出ました。

この道を真っ直ぐ行くと、近畿コカ・コーラボトリングと富士通の工場にぶつかります。1947年の地図では川西機械工場とかかれてます。今の新明和かな? とりあえず工場北側の道に出て、道なりに進むと、大久保町森田の神戸刑務所の北側に出ます。ここって府中刑務所、大阪刑務所に次ぐ全国3番目の収容能力をもつ刑務所だったんですね。で、道の北側に金ヶ崎と同名の大道池があります。オニバスが出たこともあったんだとか。

「大道池」ってのは、道を周辺より少し盛り上げて整備するために、盛り返した後を池にしたもののよう……、と以前どこかで聞いた気がするんですが……。なにかまた勘違いしてそうな気がするので聞き流してください。

写真その7

画像No.72004年12月13日撮影。先程の道標を右に行くと西国街道です。これも進むとコカコーラと富士通の工場にぶつかります。しょうがないので国道2号線に出ます。少し進むと2003年ごろまでは歩道橋があり、そこから国道2号線より南へ分かれる細い道がありました。それが西国街道で、そのまま国道2号線の南側を通っていました。写真では奥へと西国街道が伸びています。

写真その8

画像No.8国道2号線から南へ分かれる細い道ですが、2005年の工事でなくなってしまいました。以前この南側には和光電気やトヨタ、みなと銀行等が入る建物がありました(その前は西友で、さらにその前はボーリング場だったような)。今は一旦更地にされ、パチンコ屋と広い駐車場になってます……。この手の大きなパチンコ屋って、道路に居る警備員が結構うっとおしいことがあったりするんで良い印象は持ってません。

細い道があったあたりは、JRの下をくぐる立体交差の道になるみたいです。2004年時点では工事中です。そういえば歩道橋も撤去されてました。

写真その9

画像No.9この道の角には道標が立ってます。「左リ住吉社二見道」と読めます。この道標は『中尾のすがた むかし・いま』183頁にも紹介され、碑文の文字や大きさなどが書かれてます。

この場所、仮に道になったり更地になるんであれば、道標を市立文化博物館とか適切な場所に移転してほしいなあと思ってたりします。

2005年1月12日追記。『兵庫の街道いまむかし 改訂版』によると、このあたりに一里塚があったとか。またボーリング場の工事の際に道標を残すよう申し入れがあり、残ったそうです。2005年現在の工事でもまた残ってほしいなと思うのですがどうなるんでしょうか。

写真その10

画像No.10先程の西国街道を東へ向かい、かなり省略して国道175号線付近へ。この辺では西国街道は国道2号線の北を通ります。写真は和坂付近を西方向で撮影したもの。すぐ左はJRが走ってます。

「和坂」は、難読地名ネタで出てくるところです。昔は蟹坂(かにがさか)と言ってたのが、1617年に字を和坂に改めてます。でも読みは同じ。この年は小笠原忠政が明石に封ぜられた年で、明石城築城は翌年、完成は3年後の1620年です。現在の住所表記では「わさか」と読むそうです。

昔は旅の難所で盗賊とかも出たそうです。現在は盗賊は(たぶん)出なさそうだし、坂自体も市内によくある坂の一つ、という感じ。

西国街道はこのまま東へ伸び、明石川から南に曲がって西新町を通り、JRや国道2号線を突っ切って大観橋に出ます。

明石の中心部ではどうなってるんでしょう。『明石市史 上巻』206〜207頁に「大久保李任時代の明石港と西国街道」という絵が載っています。1639年から1649年の頃で徳川家光の時代ですね。一直線ではなくところどころ凸凹に曲がってます。現在のどの道に符合するのかしないのかはちょっと判らないです。

雑文

『明石市史 上巻』27頁に、「明石地方の古代」という図があり、古代山陽道が描かれてます。現在神戸市西区伊川谷町の太山寺から大蔵谷へと下り、西へ曲がって明石川に行き、そこから北西に針路を変えて伸びるコースが書かれてます。

大蔵谷から西へ伸びていた道ですが、江戸時代になって赤松山に明石城が作られ城下町が作られたことで、道は少し南に移動。明石川を渡って北西に斜めの道を辿って和坂に出たそうです。やがて明石側の西に西新町ができ、西新町を北上して西へ直角に曲がり、大道池の横を通って和坂に入る道になったそうです。

また同本38頁には、明石や和坂、林町あたりの「明治19年(1886年)の陸地測量部地図」があります。西国街道の様子が一部分ですが結構判ります。一直線の道路のようなものも描かれてますが、たぶん1888年開業の山陽鉄道(現在のJR西日本山陽本線)だと思います。「鐡」の字が潰れて見にくいー。

やがて明治になって西国街道は第四号国道となり、その後幹線道路の改修に伴い昭和8年(1933年)5月22日に神明道路(現在の国道2号線)が開通してます。それまでは細い西国街道が現役で使われてたんですね。

古代山陽道、西国街道、現代の道路(国道2号線など)を重ね合わせて描かれている地図なんてのはどこかにないでしょうかね〜。

参考書籍

主に明石市立図書館、西部図書館で借りたものです。古墳のときにも参考にした本などは参考文献のページにまとめてあります。

古代を考える 古代道路
編者:木下良
発行:吉川弘文館
発行日:平成8年(1996年)4月10日第1刷発行
兵庫の街道いまむかし 改訂版
編者:橘川真一
発行:神戸新聞総合出版センター
発行日:平成7年(1995年)7月7日第2刷発行
日本の古代道路を探す 律令国家のアウトバーン
著者:中村太一
発行:平凡社
発行日:2000年5月23日初版第1刷発行

『古代を考える 古代道路』には、冒頭に稗沢池の白黒写真があります。堤が切れている頃のもので、草が生い茂り、古墳の辺りには背の高い木が数本生えています。いつの写真かは判りません。また、加古川の賀古駅跡と古代山陽道の位置を示す図(204頁)もありました。駅池は図だと細長い形ですが、現在は東の半分以上が埋め立てられています。

『兵庫の街道いまむかし 改訂版』には、西国街道など兵庫県下の街道が書かれています。明石市内も西国街道のほか、太山寺道の絵図などが書かれています。

『日本の古代道路を探す 律令国家のアウトバーン』には、古代の道路や制度の解説、探し方等が書かれています。また、明石から加古川までの古代山陽道の道筋が地図で説明されてたりします。和坂を登り切ったあたりから加古川バイパスの高砂北ランプまで一直線の道があったとは……。

文書更新履歴

2006年10月1日
位置情報をgoo地図からGoogleマップに変更。
2005年12月10日
情報の「場所」の他、一部の場所をgoo地図に変更。
2005年9月6日
情報の「場所」の他、一部の場所をGoogleマップにリンク。
lf-x1@coomaru.com
公開:2004年12月25日
更新:2006年10月1日
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