幣塚古墳(ぬさづか-)

情報

幣塚古墳画像No.1

名称
幣塚古墳
撮影年月日
2004年12月14日
場所
兵庫県明石市魚住町清水
大きさ
直径34m、高さ4m:円墳
時期
古墳時代前期
半分削れてます
データの出典
'95特別企画 〜古墳時代の明石〜 発掘された明石の歴史展1995年11月 より

怪説

最初の写真について

明石の昔話(明治の話ですが)にも出てくる幣塚です。小学生の頃(1970年代)からそのうち行こうと思ってたんですが、いつのまにか30年以上たってしまいました。何処かのウェブページを見てた時にふとここを思い出し、行ってみた次第です。

写真その2

画像No.22004年12月7日撮影。地図を見ると幣塚の近くに「なすみ保育所」があり、更にその南に魚住中学校があるので、それを目標に国道2号線を歩きました。歩道橋がある交差点を南へ曲がり坂を上って適当なところで右折。

なにやら住宅地の中に塚のような空き地があるんですが、もしかしてあれがそう……?

写真その3

画像No.3以下は1週間後の2004年12月14日に撮影したものです。7日も一通り撮影したんですが、露出オーバーだらけというミスをしてしまい、補正してもちょっとキツい画像だらけになったので撮影しなおしに行った次第です。ちなみに8日には市立図書館郷土室と市立文化博物館で市内の古墳の資料を集め、調べておきました。ついでに国土情報ウェブマッピングシステムの昭和49年度及び60年度の航空写真や地図サイトを使って場所を確認しています。

ということで2004年末の幣塚古墳。半分近くが削られて坂道になってました。写真左に見える大きな塔は、魚住浄水場の配水塔です。遠いところからでも結構目立つ建物で、上には方角を示すアルファベットが描かれています。

一方は道になっており、他の三方は住宅に囲まれていました。なにか窮屈そうな感じ。金網で仕切られているので立ち入りできません。周りをぐるりと回ることもできませんでした。

写真その4

画像No.4金網にデジカメを置いて頂上を撮影。とはいえここが古墳であることを示すようなものは何もありません。史跡なら立て札くらいあっても良さそうに思ったんですが。

写真その5

画像No.5坂の下から見たところ。瀬戸川の左岸の斜面になっており、単に住宅がまだ建っていない空き地というか崖の痕跡みたいな感じ。

写真その6

画像No.6幣塚の300m北を走る国道2号線と瀬戸川にかかる幣塚橋。柱の意匠は幣塚古墳のイメージでしょうか? と書きましたが、隣の橋も似た形になってたので特に関係なさそうです。

南側の柱には「昭和六年十二月架」と彫られていました。1931年ということで小松左京さんや故いかりや長助さん、谷川俊太郎さんらと同期のようです。

写真その7

画像No.7幣塚橋の少し南側から幣塚付近を撮影。手前に流れている川が瀬戸川です。左側に背の高いマンションが2棟ありますが、向かって右側のマンションの下に少し赤っぽくなっているところがあります。これが幣塚に生えていた樹だと思います……。というか住宅が増えてこの位置からじゃほとんど判りません。ところで給水塔が右に入るように撮影したんですが、でかいです……。

雑文

村民による発掘

  1. 明治16年(1883年):干魃で凶作
  2. 明治17年(1884年):二百十日に大風が吹きあれて稲は倒れてしまい凶作
  3. 明治18年(1885年):大水で田畑が流され凶作

3年連続の災害で疲弊した村は伝説をもとに幣塚を発掘し、埋められているという金の鶏を掘り出そうとしたのが明治19年(1886年)の話だそうです。村の長老の一人が口ずさんだという歌が『明石こそわがふるさと』に載っていました。

“朝日さし、夕陽輝くこの丘に、黄金千杯、朱千杯”

掘った結果、朱で塗られた石室を発見。しかし勾玉や管玉、腐敗した刀は出たけど金の鶏などは出ませんでした。幣塚が載っている本には大抵書かれていると思います。この金鶏伝説ってのは各地にあるそうですね。

発掘された遺物は東京国立博物館に送られたそうですが、今はどこにあるのか判らないそうです。もしかしたら映画「レイダース 失われたアーク」のラストみたいになっているのかも?

しかし、この村は(魚住村?)この後大丈夫だったんでしょうか。

明石市立文科博物館によると、周辺の宅地開発に伴い1992年に一部分を調査。埴輪の破片や排水溝跡などが出土。そして調査部分が現在道になっているようです。1997年発行の『新明石の史跡』では発掘調査は1993年と書かれてます。

調査時の写真が明石市立文化博物館幣塚古墳のページにありました。調査風景の写真で、古墳の手前側の表土が削られているのが判りますが、この部分が宅地開発で削られて現在坂道になっている箇所だろうと思います。

幣塚の今後

結構削られているこの古墳、そのうち住宅にでもなるのかなと思ってましたが、『新明石の史跡』には次のように書かれていました。

調査区域以外の未調査部分は、土地所有者のご厚意により市に寄贈され古墳として残された。

窮屈そうだけどとりあえずよかったですね、という感じではあります。……やはり残ったのなら標識くらい立ててほしいぞ。

文書更新履歴

2006年10月1日
位置情報をgoo地図からGoogleマップに変更。
2005年12月10日
情報の「場所」を、goo地図に変更。
2005年10月26日
文章少し追加。明石市立文化博物館にリンク。特にins要素としてマーク付けはしてません。
2005年9月6日
情報の「場所」を、Googleマップにリンク。地図中心に古墳あり。中心から100mほど左上(北西)にある丸いものが給水塔。
lf-x1@coomaru.com
公開:2004年12月25日
更新:2006年10月1日
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